先日のタイで日本人の記者の方が亡くなられましたね
戦場に比べれば、タイはまだそれほど銃弾が飛び交ってるわけではありません
不運にも流れ弾をよけ損ねたのかな、とも思ったのですが、彼が最後に取っていた映像を見ますと、明らかにそうではありませんね。自ら修羅場のただ中へ踏み込んでいっています


新聞記事などでは氏のそうした行動について、「熱血記者魂」と評していました。ただわたしは昨年見た映画『戦場でワルツを』のあるくだりを思い出しました。おおむねこんなモノローグだったかと


「戦場で恐怖を忘れるにはどうしたらいいか。自分を観光客だと思い込むことだ。すごいぞ。爆発だ。死体だ。オレは今貴重なものを見てるんだ・・・ そう自分に言い聞かせて、ひたすらシャッターを切る」


レンズをのぞき込むということは、時として人に現実感を忘れさせる作用があるのかもしれません。テレビを見慣れてる国の人は特に


まあ撮影するだけでなく、それ以前に現場へ行くことだけでもかなりの勇気が求められるわけですが。その勇気の結果がこういうことになってしまったのは、とても悲しいことであります


そういえばタイにいる姉がもうじき帰ってきます。向こうは今危なっかしそうなので、さっさと帰ってくればいいのに、と思う反面、またいろいろこき使われるのかと思うと、ちょっとユウウツでもあります


もうひとつ最近の話題から


作家の井上ひさしさんが先日亡くなられました。井上さんのイメージはとにかく「筆が遅い」ということ。脚本が間に合わず舞台の初日が遅れた、なんてこともあったような


あと何かの文学賞の選考会に遅刻したこともあり、その際時間に厳しい池波正太郎先生は一言も口を聞かなかったとか(ついでに書くと池波先生は待たされると怒りのあまり腹が減るのか、そういう時はよく持参の弁当を一人でモリモリ食べていたそうです)


ただ昨日の朝日朝刊の社説に書かれていたことですが、ある時演出家の方がこっそり執筆の様子を覗いて見たところ「裸電球の卓上ランプをともして原稿用紙を積み上げ、机に15センチまで顔を近づけて、必死の様で一字一字を刻んでいた」 その血の滲むような光景に、演出家の方は思わず涙がこぼれそうになったそうです


遅筆の裏には、より良いものを作りたい、全身全霊をもって仕事にうちこむ、というゆるぎない姿勢があったということですね。選考会の遅刻もそのせいなのかはわかりませんが


ともあれ、また一人の巨人が亡くなられました。これまた寂しいことでありますね・・・