昨日の毎日新聞朝刊の野坂昭如氏のエッセイに、『火垂るの墓』の元になった体験のことが書かれていました


それによると野坂さんは養子であって、妹二人もまた養子であったとのこと。ただ妹が二人同時にいたわけではなく、最初にもらわれてきた子が病気で亡くなったあとに、また別の子がもらわれてきたそうです。そして二人とも節子ちゃんほど大きくはならず、生後何ヶ月かで亡くなったそうです


火垂るの墓』のモデルになっているのは、あとにもらわれてきた子の方。空襲で養父は死亡、養母は大やけど。一人残った野坂少年は懸命に赤ん坊の面倒をみますが、非力な少年にはしょせん無理な話。やがて赤ん坊は栄養失調で亡くなります


「夏のよく晴れた日、今でも恵子のことを想う。何十年経っても、いたたまれない気持ちは薄れない」


有名なアニメ映画が公開されたころ、ちょうどわたしは主人公の少年と同じくらいの年頃でした(もう20年前だよ・・・)
大体いつも一緒に仕事をしていた宮崎駿氏と高畑勲氏が別々に作品を作るというので、当時のアニメファンの間では話題になっていました
「もうスタッフの奪い合いですよ(宮さん談)」
で、高畑さんが担当する作品『火垂るの墓』の原作が野坂昭如と知り、わたしはかなり意外な気がしました。野坂さんって『エロ事師たち』とかいうエロい小説を書いている人、というイメージだったので(笑) 普通の文学作品も書いていたんだなあ、と(大島渚にパンチを食らわせたのはこの前だったか後だったか・・・)


そして『火垂るの墓』は『となりのトトロ』と同時上映で全国公開されたわけですが
今考えてもこれ、すごい組み合わせですねえ(笑)
方や世代を越えて多くの子供たちに夢と笑顔を与え続けている作品。方やアニメ映画史上、最も深いトラウマを日本国民に刻み付けた作品。お二人の資質がこんなに違うもんだとは夢にも想いませんでした
確か『トトロ』→『火垂る』の順番で上映してたと思いました。観た人たちがみな一様に「『トトロ』でハッピーになった気分が『火垂る』で一気に冷めた」と言っていたのを覚えています


わたしが観たのは公開から二年後。雨のため授業にならなくなった体育の時間に、先生がなぜか「これでも見よう」とビデオで見せてくれたのでした
いやあ、震えあがりましたね・・・・・ 主人公にも観客にも、一片の逃げ場さえ許さない。「鬼の高畑」の本領が遺憾なく発揮されております
そういえばこの人は『母をたずねて三千里』で同じことをやろうとして宮崎さんと大喧嘩になったそうです


映画では冒頭でいきなり死んでいた少年ですが、実際は生き延び、あんなひねくれたオッサンになってしまいました。この時の過酷な経験が野坂さんをぐれさせてしまったのでしょう。恐らく妹を弔った時に、純真な少年としての彼は死んだのだと思います


昨日ブログの方で『ホームレス中学生』について書きましたが、当時はホームレスな中学生など珍しくもなかったのだな、とふと思いました
そんな『火垂るの墓』、『崖の上のポニョ』全国公開に先駆けて、昨日より岩波ホールで実写映画版が上映されております
もちろん観ません(笑)